》街上《おもて》を歩いてみるなりしたら怎だと言つて、
『家の前から昨晩腕車で来た方へ少許行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其処の角には勧工場《くわんこうば》と云つて何品《なん》でも売る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前――赤門といへば大学の事《こつ》てすよ、それ、日本一の学校、名前位は聞いた事があるんでせうさ。何《なあ》に、大丈夫気をつけてさへ歩けば、何処まで行つたつて迷児になんかなりやしませんよ。角の勧工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で畳に「山田」と覚束なく書いて見せた。『やまだ[#「やまだ」に傍点]と読むんですよ。』
二人は稍得意な笑顔をして頷《うなづ》き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒《を》へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。
それでも仲々|階下《した》にさへ降り渋つて、二人限になれば何やら密々《こそこそ》話合つては、袂を口にあてて声立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の発起で街路《そと》へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には「
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