らの心構へで、娘共にとつては一時も気の落着く暇がない頃であつた。源助さんは、郷里《くに》(と言つても、唯上方と許りしか知らなかつたが、)にゐる父親が死んだとかで、俄かに荷造をして、それでも暇乞だけは家毎《いへごと》にして、家毎から御餞別を貰つて、飼馴《かひなら》した籠の鳥でも逃げるかの様に村中から惜まれて、自分でも甚《いた》く残惜しさうにして、二三日の中にフイと立つて了つた。立つ時は、お定も人々と共に、一里許りのステイシヨンまで見送つたのであつたが、其|帰途《かへり》、とある路傍《みちばた》の田に、稲の穂が五六本出|初《そ》めてゐたのを見て、せめて初米の餅でも搗《つ》くまで居れば可いのにと、誰やらが呟いた事を、今でも夢の様に記憶《おぼ》えて居る。
何しろ極く狭い田舎なので、それに足下《あしもと》から鳥が飛立つ様な別れ方であつたから、源助一人の立つた後は、祭礼《おまつり》の翌日《あくるひ》か、男許りの田植の様で、何としても物足らぬ。閑人の誰彼は、所在無げな顔をして、呆然《ぼんやり》と門口に立つてゐた。一月許りは、寄ると触ると行つた人の話で、立つ時は白井様で二十円呉れたさうだし、村中から
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