拵へて呉れるし、婚礼の時は村の人の誰も知らぬ「高砂」の謡をやる。加之《のみならず》何事にも器用な人で、割烹《れうり》の心得もあれば、植木|弄《いじ》りも好き、義太夫と接木《つぎき》が巧者《じやうず》で、或時は白井様の子供衆のために、大奉《だいほう》八枚張の大紙鳶《おほたこ》を拵へた事もあつた。其処此処の夫婦喧嘩や親子喧嘩に仲裁を怠らなかつたは無論の事。
左《さ》う右《か》うしてるうちに、お定は小学校も尋常科だけ卒へて、子守をしてる間に赤い袖口が好きになり、髪の油に汚れた手拭を独自《ひとりで》に洗つて冠る様になつた。土土用《つちどよう》が過ぎて、肥料《こえ》つけの馬の手綱を執る様になると、もう自づと男羞しい少女心が萌《きざ》して来て、盆の踊に夜を明すのが何よりも楽しい。随つて、ノロ勘の朋輩の若衆《わかいしゆ》が、無駄口を戦はしてゐる理髪師の店にも、おのづと見舞ふ事が稀になつたが、其頃の事、源助さんの息子さんだといふ、親に似ぬ色白の、背のすらりとした若い男が、三月許りも来てゐた事があつた。
お定が十五(?)の年、も少許《すこし》で盆が来るといふ暑気《あつさ》盛りの、踊に着る浴衣やら何や
前へ
次へ
全82ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング