らうと思つて見たが、それではお八重に済まぬ。といつて、此儘何も言はずに別れるのも残惜しい。さて怎《どう》したものだらうと頻りに先刻から考へてゐるのだが、これぞといふ決断もつかぬ。
『丑さん。』と稍あつてから囁いた。
『何しや?』
『俺ア明日……』
『明日? 明日の晩も来るせえ。』
『そでねえだ。』
『だら何しや?』
『明日《あした》俺《おら》ア、盛岡さ行つて来るす。』
『何しにせヤ?』
『お八重さんが千太郎さん許《とこ》さ行くで、一緒に行つて来るす。』
『然《さ》うが、八重ツ子ア今夜《こんにや》、何とも言はながつけえな。』
『だらお前、今夜《こんにや》もお八重さんさ行つて来たな?』
『然うだねえでヤ。』と言つたが、男は少許《すこし》狼狽《うろた》へた。
『だら何時逢つたす?』
『何時ツて、八時頃にせえ。ホラ、あのお芳ツ子|許《とこ》の店でせえ。』
『嘘だす、此《この》人《しと》ア。』
『怎してせえ?』と益々狼狽へる。
『怎しても恁うしても、今夜《こんにや》日《ひ》ヤ暮れツとがら、俺アお八重さんと許《ばか》り歩いてだもの』
『だつて。』と言つて、男はクスクス笑ひ出した。
『ホレ見らせえ!
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