包は三つとも持出して来たが、此家《ここ》の入口の暗い土間に隠して置いて入つたと言ふ事であつた。で、お定も急がしく萌黄《もえぎ》の大風呂敷を拡げて、手廻りの物を集め出したが、衣服といつても唯《たつた》六七枚、帯も二筋、娘心には色々と不満があつて、この袷は少し老《ふ》けてゐるとか、此袖口が余り開き過ぎてゐるとか、密々話《ひそひそばなし》に小一時間もかゝつて、漸々《やうやう》準備が出来た。
父も母もまだ炉辺に起きてるので、も少許《すこし》待つてから持出さうと、お八重は言ひ出したが、お定は些《ちよつ》と躊躇してから、立つと明《あかり》とりの煤けた櫺子《れんじ》に手をかけると、端の方三本許り、格子が何の事もなく取れた。それを見たお八重は、お定の肩を叩いて、
『この人《しと》アまあ、可《え》え工夫してること。』と笑つた。お定も心持顔を赧くして笑つたが、風呂敷包は、難なく其処から戸外《そと》へ吊り下された。格子は元の通りに直された。
二人はそれから権作老爺の許へ行つて、二人前の風呂敷包を預けたが、戸外の冷かな夜風が、耳を聾する許りな虫の声を漂はせて、今夜限り此生れ故郷を逃げ出すべき二人の娘にいう
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