少許《すこし》だばあるども、呉《け》えらば呉《け》えで御座《ごぜ》え。』
『またお八重ツ子がら、御馳走《ごツちよう》になるべな。』
と言つて、定次郎は腹掛から五十銭銀貨一枚出して、上框《あがりかまち》に腰かけてゐるお定へ投げてよこした。
お八重はチラとお定の顔を見て、首尾よしと許り笑つたが、お定は父の露疑はぬ様を見て、穏《おとな》しい娘だけに胸が迫つた。さしぐんで来る涙を見せまいと、ツイと立つて裏口へ行つた。
五
夕方、一寸でも他所《よそ》ながら暇乞に、学校の藤田を訪ねようと思つたが、其《その》暇《ひま》もなく、農家の常とて夕餉は日が暮れてから済ましたが、お定は明日着て行く衣服を畳み直して置くと云つて、手ランプを持つた儘、寝室《ねま》にしてゐる四畳半許りの板敷に入つた。間もなくお八重が訪ねて来て、さり気ない顔をして入つたが、
『明日着て行ぐ衣服《きもの》すか?』と、態《わざ》と大きい声で言つた。
『然うす。明日着て行くで、畳み直してるす。』と、お定も態と高く答へて、二人目を見合せて笑つた。
お八重は、もう全然《すつかり》準備《したく》が出来たといふ事で、今其風呂敷
前へ
次へ
全82ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング