まぐさ》があつたので、隣家の松太郎の姉に誘はれたけれども、父爺《おやぢ》が行かなくても可いと言つた。仕様事なさに、一日門口へ立つて見たり、中へ入つて見たりしてゐたが、蛇の目傘をさした源助さんの姿が、時々|彼方此方《あちらこちら》に見えた。禿頭の忠太|爺《おぢ》と共に、お定の家の前を通つた事もあつた。其時、お定は何故といふ事もなく家の中へ隠れた。
 一日降つた蕭《しめや》かな雨が、夕方近くなつて霽《あが》つた。と穢《きたな》らしい子供等が家々から出て来て、馬糞交りの泥濘《ぬかるみ》を、素足で捏《こ》ね返して、学校で習つた唱歌やら流行歌《はやりうた》やらを歌ひ乍ら、他愛もなく騒いでゐる。
 お定は呆然《ぼんやり》と門口に立つて、見るともなく其《それ》を見てゐると、大工の家のお八重の小さな妹が駆けて来て、一寸来て呉れといふ姉の伝言《ことづて》を伝へた。
 また曩日《いつか》の様に、今夜何処かに酒宴でもあるのかと考へて、お定は慎しやかに水潦《みづたまり》を避《よ》けながら、大工の家へ行つた。お八重は欣々《いそいそ》と迎へたが、何か四辺《あたり》を憚る様子で、密《そつ》と裏口へ伴れて出た。
『何
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