きまりわる》さ!
朝餐後の始末を兎に角終つて、旦那樣のお出懸に知らぬ振をして出て來なかつたと奧樣に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然《ぼんやり》と、臺所の中央《まんなか》に立つてゐた。
と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて來たので、お定は懷かしさに我を忘れて、『やあ』と聲を出した。お吉は些《ちよつ》と笑顏を作つたが、
『まあ大變な事になつたよ、お定さん。』
『怎《どう》したべす?』
『怎したも恁うしたも、お郷里《くに》からお前さん達の迎へが來たよ。』
『迎へがすか?』と驚いたお定の顏には、お吉の想像して來たと反對に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。
お吉は暫時《しばらく》呆れた樣にお定の顏を見てゐたが、『奧樣は被居《いらつ》しやるだらう、お定さん。』
お定は頷《うなづ》いて障子の彼方を指した。
『奧樣にお話して、これから直ぐお前さんを伴《つ》れてかなけやならないのさ。』
お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた樣に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は臺所に立つたり、右手を胸にあてて奧樣とお吉の話を洩れ聞い
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