お吉はもう五六間|先方《むかう》へ行つて立つてゐる。
何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊《あたり》の土が水に濡れてゐる。
『これが水道ツて言ふんですよ。可《よ》ござんすか。それで恁うすると水が幾何《いくら》でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓《せん》を捻《ひね》つた。途端《とたん》に、水がゴウと出る。
『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞《はづ》かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空《から》なのと取代へて、
『さあ、何方なり一つ此栓を捻《ひね》つて御覽なさい。』と宛然《さながら》小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、
『些《ちつ》とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。
歸りはお吉の辭するも諾《き》かず、二人
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