障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覺ました。嗚呼東京に來たのだつけと思ふと、昨晩《ゆうべ》の足の麻痺《しびれ》が思出される。で、膝頭を伸ばしたり屈《かゞ》めたりして見たが、もう何ともない。階下《した》ではまだ起きた氣色《けはひ》がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車《くるま》の上から見た雜沓が、何處かへ消えて了つた樣な氣もする。不圖、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否、此處は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎《どう》して水を汲むだらうと云ふ樣な事を考へてゐたが、お八重が寢返りをして此方へ顏を向けた。何夢を見てゐるのか、眉と眉の間に皺寄せて苦し相に息をする。お定はそれを見ると直ぐ起き出して、聲低くお八重を呼び起した。
お八重は、深く息を吸つて、パッチリと目を開けて、お定の顏を怪訝相《けげんさう》にみてゐたが、
『ア、家《え》に居《え》だのでヤなかつたけな。』と言つて、ムクリと身起した。それでもまだ得心がいかぬといつた樣に周圍《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]してゐたが、
『お定さん、俺《おれ》ア今夢見て居《え》
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