んにや》もお八重さんさ行つて來たな?』
『然うだねえでヤ。』と言つたが、男は少し狼狽《うろた》へた。
『だら何時《いづ》逢つたす?』
『何時ツて、八時頃にせ。ホラ、あのお芳ツ子の許《とこ》の店でせえ。』
『嘘だす、此人《このしと》ア。』
『怎《どう》してせえ?』と益々|狼狽《うろた》へる。
『怎しても恁《か》うしても、今夜《こんにや》日《ひ》ヤ暮れツとがら、俺アお八重さんと許《ば》り歩いてだもの。』
『だつて。』と言つて、男はクスクス笑ひ出した。
『ホレ見らせえ!』と女は稍聲高く言つたが、別に怒つたでもない。
『明日《あした》汽車で行くだか?』
『權作|老爺《おやぢ》の荷馬車で行くで。』
『だら、朝早かべせえ。』と言つたが、『小遣錢《こづげえ》呉《け》えべがな? ドラ、手ランプ點《つ》けろでヤ。』
 お定が默つてゐたので、丑之助は自分で手探りに燐寸《マツチ》を擦つて手ランプに移すと、其處に脱捨てゝある襯衣《かくし》の衣嚢から財布を出して、一圓紙幣を一枚女の枕の下に入れた。女は手ランプを消して、
『餘計《よげえ》だす。』
『餘計な事ア無《ね》えせア。もつと有るものせえ。』
 お定は、平常
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