《いつも》ならば恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事を餘り快く思はぬのだが、常々添寢した男から東京行の錢別を貰つたと思ふと、何となく嬉しい。お八重には恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]事が無からうなどゝ考へた。
先刻《さつき》の蟋蟀《こほろぎ》が、まだ何處か室の隅ツこに居て、時々思出した樣に、哀れな音を立てゝゐた。此夜お定は、怎《どう》しても男を抱擁めた手を弛《ゆる》めず、夜明近い鷄の頻りに啼立てるまで、厩の馬の鬣を振ふ音や、ゴトゴト破目板を蹴る音を聞きながら、これといふ話もなかつたけれど、丑之助を歸してやらなかつた。
六
其翌朝は、グツスリ寢込んでゐる所をお八重に起されて、眠い眼を擦《こす》り/\、麥八分の冷飯に水を打懸けて、形許り飯を濟まし、起きたばかりの父母や弟に簡單な挨拶をして、村端れ近い權作の家の前へ來ると、方々から一人二人水汲の女共が、何れも眠相な眼をして出て來た。荷馬車はもう準備が出來てゐて、權作は嚊に何やら口小言を言ひながら、脚の太い黒馬《あを》を曳き出して來て
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