うつ》とした疲心地《つかれごゝち》で、すぐうと/\と眠つて了た。

 ふと目が覺めると、消すを忘れて眠つた枕邊《まくらもと》の手ランプの影に、何處から入つて來たか、蟋蟀《こほろぎ》が二匹、可憐な羽を顫はして啼いてゐる。遠くで若者が吹く笛の音のする所から見れば、まだ左程夜が更けてもゐぬらしい。
 と櫺子《れんじ》の外にコツコツと格子を叩く音がする。あ之で目が覺めたのだなと思つて、お定は直ぐ起上つて、密《こつそ》りと格子を脱《はづ》した。丑之助が身輕《みがる》に入つて了つた。
 手ランプを消して、一時間許り經《た》つと、丑之助がもう歸準備《かへりじたく》をするので、これも今夜|限《きり》だと思ふとお定は急に愛惜の情が喉に塞つて來て、熱い涙が瀧の如く溢れた。別に丑之助に未練を殘すでも何でもないが、唯もう悲さが一時に胸を充たしたので、お定は矢庭に兩手で力の限り男を抱擁《だきし》めた。男は暗の中にも、遂ぞ無い事なので吃驚《びつくり》して、目を圓くもしてゐたが、やがてお定は忍び音で歔欷《すゝりなき》し始めた。
 丑之助は何の事とも解りかねた。或は此お定ツ子が自分に惚れたのぢやないかとも思つたが、何
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