で桶を一つ宛《づゝ》輕々と持つて勝手口まで運んだが、背後《うしろ》からお吉が、
『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此の後に潜んだ意味などを察する程に、怜悧《かしこ》いお定ではないので、何だか賞められた樣な氣がして、密《そつ》と口元に笑を含んだ。
それから、顏を洗へといはれて、急いで二階から淺黄の手拭やら櫛やらを持つて來たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る/\種々《いろ/\》の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髮を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて來て、二人を見ると、『お早う。』と聲をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが惡くて、顏を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に寫る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]卒《そゝくさ》に髮を結つてゐたが、それでもお八重の方はチョイチョイ横目を使つて、職人の爲る事を見てゐた樣であつた。
すべて恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》具合で、朝餐《あさめし》も濟んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に餘る旅から歸つたので、それ/″\手土産を持つて知邊《しるべ》の家を※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]らなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。
二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手傳ひ、二人|限《きり》で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度經驗があるので上級生の樣な態度をして、
『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。
かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて來て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は生中《なまなか》禮儀などを守らず、つけつけ言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀《おかみ》さんより親切な人だと考へてゐた。
お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》に可笑《をか》しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのか
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