笑ひ續けてゐた。
階下《した》では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、
『まあ早いことお前さん達は、まだ/\寢《やす》んでらつしやれば可いのに。』と笑顏を作つた。二人は勝手への隔《へだて》の敷居に兩手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて、挨拶をすると、お吉は可笑しさに些《ちよつ》[#ルビの「ちよつ」は底本では「ちよ」]と横向いて笑つたが、
『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。
よく眠れたかとか、郷里《くに》の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩《ゆうべ》よりもズット忸《なれ》々しく種々《いろ/\》な事を言つてくれたが、
『お前さん達のお郷里《くに》ぢや水道はまだ無いでせう?』
二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶《おぼえ》がない。何と返事をして可《い》いか困つてると、
『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入來《いらつ》しやい。教へて上げますから。』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人とも急いで店から自分達の下駄を持つて來て、裏に出ると、お吉はもう五六間|先方《むかう》へ行つて立つてゐる。
何の事はない、郵便凾の小さい樣なものが立つてゐて、四邊《あたり》の土が水に濡れてゐる。
『これが水道ツて言ふんですよ。可《よ》ござんすか。それで恁うすると水が幾何《いくら》でも出て來ます。』とお吉は笑ひながら栓《せん》を捻《ひね》つた。途端《とたん》に、水がゴウと出る。
『やあ。』とお八重は思はず驚きの聲を出したので、すぐに羞《はづ》かしくなつて、顏を火の樣にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顏を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空《から》なのと取代へて、
『さあ、何方なり一つ此栓を捻《ひね》つて御覽なさい。』と宛然《さながら》小學校の先生が一年生に教へる樣な調子。二人は目と目で互に讓り合つて、仲々手を出さぬので、
『些《ちつ》とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある譯ではないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、輕く聲を出して笑ひながらお定の顏を見た。
歸りはお吉の辭するも諾《き》かず、二人
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