また直ぐ笑ひを含んで、『※[#「口+云」、第3水準1−14−87]、好《よ》し/\、此老爺さんが引受けたら間違ツこはねえが、何だな、お定さんも謀叛《むほん》の一味に加つたな?』
『謀叛《むほん》だど、まあ!』とお定は目を大きくした。
『だがねお八重さん、お定さんもだ、まあ熟《よつ》く考へてみる事《こつ》たね。俺は奈何でも構はねえが、彼方へ行つてから後悔《あとくやみ》でもする樣ぢや、貴女方《あんたがた》自分の事《こつ》たからね。汽車の中で乳飮みたくなつたと言つて、泣出されでもしちや、大變な事になるから喃《なあ》。』
『誰《だれ》ア其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》に……。』とお八重は肩を聳かした。
『まあさ。然《さ》う直ぐ怒《おこ》らねえでも可いさ。』
と源助さんはまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》所にや一生歸つて來る氣になりませんぜ。』
お八重は「歸つて來なくつても可い。」と思つた。お定は「歸つて來られぬ事があるものか。」と思つた。
程なく四邊《あたり》がもう薄暗くなつて行くのに氣が附いて、二人は其處を出た。此時までお定は、まだ行くとも行かぬとも言はなかつたが、兎も角も明日|決然《きつかり》した返事をすると言つて置いて、も一人お末といふ娘にも勸めようと言ふお八重の言葉には、お末の家が寡人《ひとすくな》だから勸めぬ方が可いと言ひ、此話は二人|限《きり》の事にすると堅く約束して別れた。そして、表道を歩くのが怎《どう》やら氣が咎《とが》める樣で、裏路傳ひに家へ歸つた。明日返事をするとは言つたものゝ、お定はもう心の底では確然《ちやん》と行く事に決つてゐたので。
家に歸ると、母は勝手に手ランプを點けて、夕餉の準備《したく》に急はしく立働いてゐた。お定は馬に乾秣《やた》を刻《き》つて鹽水に掻※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]《かきまは》して與《や》つて、一擔ぎ水を汲んで來てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に氣がそはそはしてゐて、麥八分の飯を二膳とは喰べなかつた。
お定の家は村でも兎に角食ふに困らぬ程の農家で、借財と云つては一文もなく、多くはないが田も畑も自分の所有《もの》、馬も青と栗毛と二頭飼つてゐた。兩親はまだ四十前
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