、第4水準2−12−11]しにして夜に訪ねたとの事であつた。そして、二時間許りも麥煎餅を噛りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、淺草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車、宮樣のお葬式、話は皆想像もつかぬ事許りなので、聞く人は唯もう目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、夜も晝もなく渦卷く火炎に包まれた樣な、凄じい程な華やかさを漠然と頭腦《あたま》に描いて見るに過ぎなかつたが、淺草の觀音樣に鳩がゐると聞いた時、お定は其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》所にも鳥なぞがゐるか知らと、異樣に感じた。そして、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》所から此人はまあ、怎《どう》して此處まで來たのだらうと、源助さんの得意氣な顏を打|瞶《まも》つたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸見附り惡いけれど、女なら幾何《いくら》でも口がある。女中奉公しても月に賄附で四圓貰へるから、お定さんも一二年行つて見ないかと言つたが、お定は唯俯いて微笑《ほゝゑ》んだのみであつた。怎《どう》して私などが東京へ行かれよう、と胸の中で呟《つぶ》やいたのである。そして、今日隣家の松太郎といふ若者が、源助さんと一緒に東京に行きたいと言つた事を思出して、男ならばだけれども、と考へてゐた。
三
翌日は、例の樣に水を汲んで來てから、朝草刈に行かうとしてると、秋の雨がしと/\降り出して來た。厩《うまや》には未だ二日分許り秣《まぐさ》があつたので、隣家の松太郎の姉に誘はれたけれども、父爺《おやぢ》が行かなくても可《い》いと言つた。仕樣事なさに、一日門口へ立つて見たり、中へ入つて見たりしてゐたが、蛇の目傘をさした源助さんの姿が、時々彼方此方《あちこち》に見えた。禿頭の忠太爺と共に、お定の家の前を通つた事もあつた。其時、お定は何故といふ事もなく家の中へ隱れた。
一日降つた肅《しめ》やかな雨が、夕方近くなつて霽《あが》つた。と穢《きたな》らしい子供等が家々から出て來て、馬糞交りの泥濘を、素足で捏《こ》ね返して、學校で習つた唱歌やら流行歌やらを歌ひ乍ら、他愛もなく騷いでゐる。
お定は呆然《ぼんやり》と門口に立つて、見るともなく其を見てゐると、大工の家のお
前へ
次へ
全41ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング