遠くに離れてゐる様な心地でそれを見てゐた。
と、赤児が稍大きい声で泣き出した。女は草の中から顔を擡げた。
『やあ、生きた/\。また生きたでア。』と喚《わ》めきながら、皆は豊吉を先立てゝ村の方に遁げ出した。私は怎したものか足が動かなかつた。
醜い乞食の女は、流れた血を拭かうともせず、どんよりとした疲労の眼を怨し気に※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、唯一人残つた私の顔を凝《じつ》と瞶めた。私も瞶めた。其、埃と汗に塗れた顔を、傾きかけた夏の日が、強烈な光を投げて憚りもなく照らした。頬に流れて頸から胸に落ちた一筋の血が、いと生々しく目を射た。
私は、目が眩《くるめ》いて四辺《あたり》が暗くなる様な気がすると、忽ち、いふべからざる寒さが体中を戦《をのの》かせた。皆から三十間も遅れて、私も村の方に駈け出した。
然し私は、怎したものか先に駈けて行く子供等に追つかうとしなかつた。そして、二十間も駈けると、立止つて後を振返つた。乞食の女は、二尺の夏草に隠れて見えぬ。更に豊吉等の方を見ると、もう乞食の事は忘れたのか、声高に「吾は官軍」を歌つて駈けてゐた。
私は其時、妙な心地
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