を抱いてトボ/\と歩き出した。小い胸の中では、心にちらつく血の顔の幻を追ひながら、「先生は不具者《かたは》や乞食に悪口を利いては不可ないと言つたのに、豊吉は那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》事をしたのだから、たとひ豊吉が一番で私が二番でも、私より豊吉の方が悪い人だ。」といふ様な事を考へてゐたのであつた。
あはれ、其後の十幾年、私は村の小学校を最優等で卒《を》へると、高島先生の厚い情によつて、盛岡の市の高等小学校に学んだ。其処も首尾よく卒業して、県立の師範学校に入つたが、其夏父は肺を病んで死んだ。間もなく、母は隣村の実家に帰つた。半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねる的《あて》もない。
私は二十歳の年に高等師範に進んで、六箇月前にそれも卒へた。卒業試験の少し前から出初めた悪性の咳が、日ましに募つて来て、此鎌倉の病院生活を始めてからも、既に四箇月余りを過ぎた。
学窓の夕、病室の夜、言葉に文に友の情は沁み/″\と身に覚えた。然し私は、何故か多くの友の
前へ
次へ
全28ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング