を、子供心に考へると、小さい胸は一圖に迫つて、涙が留度もなく溢れる。すると、怎《どう》して殘つてゐたものか、二三人の女生徒が小使室の方から出て來た樣子がしたので、私は何とも言へぬ羞かしさに急に動悸《どうき》がして來て、ぴたりと柱に凭懸《よりかゝ》つた儘、顏を見せまいと俯《うつむ》いた。
 すた/\と輕い草履の音が後ろに近づいたと思ふと、『何したの、新太郎さん?』と言つた聲は、藤野さんであつた。それまで一度も言葉を交した事のない人から、恁《か》う言はれたので、私は思はず顏を上げると、藤野さんは、晴乎《ぱつちり》とした眼に柔かな光を湛へて、凝《ぢつ》と私を瞶《みつ》めてゐた。私は直ぐ又俯いて、下脣を噛締めたが、それでも歔欷《すゝりなき》が洩れる。
 藤野さんは暫く默つてゐたが、『泣かないんだ、新太郎さん。私だつて今度は、一番下で漸《やつ》と及第したもの。』と、弟にでも言ふ樣に言つて、『明日好い物持つてつて上げるから、泣かないんだ。皆が笑ふから。』と、私の顏を覗き込む樣にしたが、私は片頬を柱に擦《す》りつけて、覗かれまいとしたので、又すたすたと行つて了つた。藤野さんは何學科も成績が可かつたの
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