其|抑揚《ふし》を眞似る樣になつた。友達はそれと氣が附いて笑つた。笑はれて、私は改めようとするけれども、いざとなつて聲を立てゝ讀む時は、屹度其|抑揚《ふし》が出る。或時、小使室の前の井戸端で、六七人も集つて色々な事を言ひ合つてゐた時に、豐吉は不圖其事を言ひ出して、散々に笑つた末、『新太と藤野さんと夫婦になつたら可《よ》がんべえな。』と言つた。
藤野さんは五六歩離れた所に立つてゐたつたが、此時、『成るとも。成るとも。』と言つて皆を驚かした。私は顏を眞赤《まつか》にして矢庭に駈出して了つた。
いくら子供でも、男と女は矢張男と女、學校で一緒に遊ぶ事などは殆ど無かつたが、夕方になると、家々の軒や破風に夕餉の煙の靉《たなび》く街道に出て、よく私共は寶奪ひや鬼ごッこをやつた。時とすると、それが男組と女組と一緒になる事があつて、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》時は誰しも周圍が暗くなつて了ふまで夢中になつて遊ぶのであるが、藤野さんが鬼になると、屹度私を目懸けて追つて來る。私はそれが嬉しかつた。奈何《どんな》に※[#「おうにょう+王」、第3水準1−47−62]弱《かよわ》い體質でも、私は流石に男の兒、藤野さんはキッと口を結んで敏《さと》く追つて來るけれど、容易に捉《つかま》らない。終ひには息を切らして喘々《ぜい/\》[#ルビの「ぜい/\」は底本では「せい/\」]するのであるが、私は態と捉まつてやつて可いのであるけれど、其處は子供心で、飽迄も/\身を飜して意地惡く遁げ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]る。それなのに、藤野さんは鬼ごッこの度、矢張私許り目懸けるのであつた。
新家の家には、藤野さんと從兄弟同志の男の兒が三人あつた。上の二人は四年と三年、末兒はまだ學校に上らなかつたが、何れも餘り成績が可くなく、同年輩の近江屋の兒等と極く仲が惡かつたが、私の朧氣に憶《おぼ》えてゐる所では、藤野さんもよく二人の上の兒に苛責《いぢめ》られてゐた樣であつた。何時《いつ》か何處かで叩かれてゐるのを見た事もある樣だが、それは明瞭《はつきり》しない。唯一度私が小さい桶を擔いで、新家の裏の井戸に水汲に行くと、恰度《ちやうど》其處の裏門の柱に藤野さんが倚懸《よりかゝ》つてゐて、一人|潸々《さめ/″\》と泣いてゐた。怎《どう》したのだと私
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