だらう。」と、多吉は可笑く思つた。が、彼の予期したやうな笑ひは誰の口からも出なかつた。
 稍《やや》あつて雀部は、破れた話を繕ふやうに、
『すると何ですね。私は二番目に死ぬんですね。厭だなあ。あははは。』
『今井さんも今井さんだ。』と、目賀田は不味《まづ》い顔をして言ひ出した。『俺のやうな老人《としより》は死ぬ話は真平《まつぴら》だ。』
 青二才の無礼を憤《いきどほ》る心は充分あつた。
『さう一概に言ふものぢやない、目賀田さん。』雀部は皆の顔を見廻してから言つた。『私は今井さんのやうな人は大好きだ。竹を割つたやうな気性で、何のこだはりが無い。言ひたければ言ふし、食ひたければ食ふし………今時の若い者は斯《か》うでなくては可けない。実に面白い気性だ。』
『そ、そ、さういふ訳ぢやないのさ。雀部さん、貴方《あんた》のやうに言ふと角が立つ。俺《わし》も好きさ。今井さんの気性には俺も惚れてゐる。………たゞ、俺の嫌ひな話が出たから、それで嫌ひだと言つたまでですよ。なあ今井さん、さうですよなあ。』
『全く。』校長が引取つた。『何ももう、何もないのですよ。』
『困つた事になりましたねえ。』
 さう言ふ多吉の言葉を雀部は奪ふやうにして、
『何も困る事はない。………それぢや私の取越苦労でしたなあ。ははは。これこそ墓穴の近くなつた証拠だ。』
『いや、今も雀部さんのお話だつたが、食ひたければ食ひ、言ひたければ言ふといふ事は、これで却々《なかなか》出来ない事でしてねえ。』
 校長は此処から話を新らしくしようとした。
『また麦煎餅の一件ですか?』
 斯う言つて多吉は無邪気な笑ひを洩《もら》した。それにつれて皆笑つた。危く破れんとした平和は何うやら以前《もと》に還つた。
 老人《としより》も若い者も、次の話題の出るのを心に待ちながら歩いた。
 すると、目賀田は後を振向いた。
『今井さん。今日は俺《わし》も煎餅組にして貰ひませうか。飲むと帰途《かへり》が帰途《かへり》だから歩けなくなるかも知れない。』
「勝利は此方にあつた。」と多吉は思つた。そして口に出して、『今日は帽子が無いから可いぢやありませんか?』
『今日は然し麦煎餅ぢやありませんよ。』
 雀部は言葉を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ。
『何でせう?』
『栗ですよ。栗に違ひない。』
『それはまた何故ね?』と目賀田は穏《おとな》しく聞いた。
『田宮の吝嗇家《しみつたれ》だもの、一銭だつて余計に金のかかる事をするもんですか。屹度昨日あたり、裏の山から生徒に栗を拾はして置いたんでせうさ。まあ御覧なさい、屹度当るから。』
『成程、雀部さんの言ふ通りかも知れませんね。』
 二三度首を傾げて見てから、校長も同意した。
 坂を下り尽すとまた渓川《たにがは》があつた。川の縁には若樹の漆《うるし》が五六本立つてゐて、目も覚める程に熟しきつた色の葉の影が、黄金の牛でも沈んでゐるやうに水底《みづそこ》に映つてゐた。川上の落葉を載せた清く浅い水が、飴色の川床の上を幽かな歌を歌つて流れて行つた。S――村は其処に尽きて、橋を渡ると五人の足はもうT――村の土を踏んだ。
 路はそれから少し幅広くなつた。出《で》つ入《い》りつする山と山の間の、土質の悪い畑地の中を緩やかに逶《うね》つて東に向つてゐた。日はもう高く上《のぼ》つて、路傍の草の葉も乾いた。畑の中には一軒二軒と圧しつぶされたやうな低い古い茅葺の農家が、其処此処に散らばつてゐた。狼のやうな顔をした雑種らしい犬が、それ等の家から出て来て、遠くから臆病らしく吠え立てた。
 多吉にも松子にも何となく旅に出たやうな感じがあつた。出逢つた男や女も、多くはただ不思議さうに見迎へ見送るばかりであつた。偶《たま》に礼をする者があつても、行違ふ時はこそこそと擦抜《すりぬ》けるやうにして行つた。
 居村《きよそん》の路を歩く時に比べて、親みの代りに好奇心があつた。
『田が少いですね。』
 多吉は四辺《あたり》を見渡しながら、そんな事を言つて見た。山も、木も、家も、出逢ふ人も、皆それぞれに特有な気分の中に落着いてゐるやうに見えた。そして其の気分と不時の訪問者の自分|等《たち》とは、何がなしに昔からの他人同志のやうに思はれた。読んだ事のない本の名を聞いた時に起す心持は、やがて此の時の多吉の心持であつた。
『粟と稗と蕎麦ばかり食つてるから、此の村の人のする糞は石のやうに堅くて真黒だ。』雀部はそんな事を言つて多吉と松子を笑はせた。さういふ批評と観察の間にも、此の中老の人の言葉には、自分の生れ、且つ住んでゐる村を誇るやうな響きがあつた。
『此の村の女達の半分は、今でもまだ汽車を見た事がないさうです。』といふ風に校長も言つて聞かせた。
 それ等の言葉は必ずしも多吉の今日初めて聞いたものではなかつた。然し彼は、汽車に近い村と汽車に遠い村との文化の相違を、今漸く知つたやうな心持であつた。地図の上では細い筆の軸にも隠れて了ふ程の二つの村にもさうした相違のあるといふ事は、若い准訓導の心に、何か知ら大きい責任のやうな重みを加へた。
 それから彼此《かれこれ》一里の余も歩くと、山と山とが少し離れた。其処は七八|町歩《ちやうぶ》の不規則な形をした田になつてゐて、刈り取つた早稲の仕末をしてゐる農夫の姿が、機関仕掛《からくりじかけ》の案山子《かかし》のやうに彼方此方《あちこち》に動いてゐた。田の奥は山が又迫つて、二三十の屋根が重り合つて見えた。
 馬の足跡の多い畝路《あぜみち》を歩き尽して、其の部落に足を踏み入れた時、多吉も松子もそれと聞かずにもう学校の程近い事を知つた。物言はぬ人のみ住んでゐるかとばかり森閑としてゐる秋の真昼の山村の空気を揺がして、其処には音とも声ともつかぬ、遠いとも近いとも判り難い、一種の底深い騒擾《どよめき》の響が、忘れてゐた自分の心の声のやうな親みを以て、学校教師の耳に聞えて来た。
 何となく改まつたやうな心持があつた。草に埋《うづも》れた溝と、梅や桃を植ゑた農家の垣根の間の少し上りになつた凸凹路《でこぼこみち》を、まだ二十歩とは歩かぬうちに、行手には二三人の生徒らしい男の児の姿が見えた。其の一人は突然《いきなり》大きい声を出して、『来た。来た。』と叫んだ。年長《としかさ》の一人はそれを制するらしく見えた。そして一緒に、敵を見付けた斥候のやうに駈けて行つて了つた。目賀田は立止つて端折つた裾を下し、校長と雀部をやり過して、其の後に跟《つ》いた。
 雨風に朽ちて形ばかりに立つてゐる校門が見えた。農家を造り直して見すぼらしい茅葺の校舎も見えた。門の前には両側に並んでゐる二三十人の生徒があつた。大人のやうに背のひよろ高いのもあれば、海老茶色の毛糸の長い羽織の紐を総角《あげまき》のやうに胸に結んでゐるのもあつた。一目見て上級の生徒である事が知れた。
『甘くやつてる哩《わい》。』と多吉は先づ可笑く思つた。それは此処の学校の教師の周到な用意に対してであつた。
 一行が前を通る時に、其の生徒共は待構へてゐたやうに我遅れじと頭を下げた。「ふむ。」と校長も心に点頭《うなづ》くところがあつた。気が付くと、其の時はもう先に聞えてゐた騒擾《どよめき》の声が鎮まつてゐて、校庭の其処からも此処からもぞろぞろと子供等が駈けて来て交る交る礼をした。水槽《みづぶね》の水に先を争うて首を突き出す牧場の仔馬《こうま》のやうでもあつた。
『さあさあ、何卒《どうぞ》。』ひどく訛《なまり》のある大きい声が皆の眼を玄関に注がせた。其処には背の低い四十五六の男が立つて、揉手をしながら愛相笑ひをしてゐた。色の黒い、痘痕《あばた》だらけの、蟹の甲羅のやうな道化《おどけ》た顔をして、白墨《チヨオク》の粉の着いた黒木綿の紋付に裾短い袴を穿いた――それが真面目な、教授法の熟練な教師として近郷に名の知れてゐる、二十年の余も同じ山中の単級学校を守つて来た此処の校長の田宮であつた。
『もう皆さんはお揃ひですか。』
『さうであす。先刻《さつき》から貴方方のお出をお待ち申してゐたところで御《ご》あした。』
『お天気で何よりでしたなあ。』
『真個《ほんと》にお陰さまであした。――さあ、ままあ何卒《どうぞ》。』
『□□の先生はもう来ましたか。』と雀部は路すがら話した眇目《かため》の教師の事を聞いた。
『××さんは今日の第一着であした。さ、さ、まあ――』
『何卒《どうぞ》お先に。』と目賀田は校長を顧る。
『私は一寸、便所に。』
 さう言つて校長は校舎の裏手に廻つて行つた。雀部は靴を脱いで上り、目賀田は危つかしい手つきをして草鞋の紐を解きかけた。下駄を穿いた二人はまだ外に立つてゐた。生徒共は遠巻に巻いて此の様を物珍らし気に眺めてゐた。
『生徒が門のところで礼をしましたね。』
 女教師が多吉に囁いた。
『ええ。今日は授業批評会ですからね。』と多吉も小声で言ふ。
『それぢや臨時でせうか。』
『臨時でなかつたら馬鹿気てゐるぢやありませんか。――批評会は臨時ですからね。』
『ええ。』
『生徒は単純ですよ。為《し》ろと言へは為《す》るし、為《す》るなと言へば為《し》ないし、………学校にゐるうちだけはね。』
 其処へ校長が時計を出して見ながら、便所から帰つて来た。
『恰度《ちやうど》十時半です。』
『さうですか。』
『恰度三時間かかりました。一里一時間で、一分も違はずに。』
 さう言つた顔は如何にもそれに満足したやうに見えた。
 多吉は何がなしに笑ひ出したくなつた。そして松子の方を向いて、
『貴方がゐないと、もつと早く来られたんですね。』
『恰度に来たから可いでせう。』靴を脱ぎながら校長が言つた。
「何が恰度だらう。」と、多吉はまた心の中に可笑くなつた。「誰も何とも定《き》めはしないのに。」
『そんなら私、帰途《かへり》には早く歩いてお目にかけますわ。』
 松子は鼻の先に皺を寄せて、甘へるやうに言つた。
 それから半時間ばかり経《た》つと、始業の鐘が嗄《かす》れたやうな音《ね》を立てて一しきり騒がしく鳴り響いた。多くは裸足《はだし》の儘で各《おの》がじし校庭に遊び戯れてゐた百近い生徒は、その足を拭きも洗ひもせず、吸ひ込まれるやうに暗い屋根の下へ入つて行つた。がたがたと机や腰掛の鳴る音。それが鎮まると教師が児童出席簿を読上げる声。――『淵沢長之助、木下勘次、木下佐五郎、四戸佐太《しのへさた》、佐々木|申松《さるまつ》………。』
『はい、はい………』と生徒のそれに答へる声。
 愈々《いよいよ》批評科目の授業が始つた。『これ前の修身の時間には、皆さんは何を習ひましたか。何といふ人の何をしたお話を聞きましたか。誰か知つてゐる人は有りましえんか。あん? お梅さん? さうであした。お梅さんといふ人の親孝行のお話であした。誰か二年生の中で、今其のお話の出来る人が有りましえんか。』――斯ういふ風に聞き苦しい田舎教師の言葉が門の外までも聞えて来た。門に向いた教室の格子窓には、窓を脊にして立つてゐる参観の教師達の姿が見えた。
 がたがたと再び机や腰掛の鳴る音の暗い家《うち》の中から聞えた時は、もう五十分の授業の済んだ時であつた。生徒は我も我もと先を争うて明い処へ飛び出して来た。が、其の儘家へ帰るでもなく、年長《としかさ》の子供等は其処此処に立つて何かひそひそ話し合つてゐた。門の外まで出て来て、『お力《りき》い、お力い。』と体を屈《こご》めねばならぬ程の高い声を出して友達を呼んでゐる女の子もあつた。
 教師達は五人も六人も玄関から出て来て、交る交る裏手の便所へ通つた。其の中には雀部もゐた、多吉もゐた。多吉は大きい欠呻《あくび》をしながら出て来て、笑ひながら其処辺《そこら》にゐる生徒共を見廻した。多くは手織の麻か盲目地《めくらぢ》の無尻に同じ股引を穿《は》いたそれ等の服装《みなり》は、彼の教へてゐるS村の子供とさしたる違ひはなかつた。それでも「汽車に遠い村の子供」といふ感じは何処となく現れてゐた。生徒の方でも目引き袖引きして此の名も知らぬ若い教師を眺めた。
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