せんか? 私だつて怒るわ。』
すると今度は多吉の方が可笑《をか》しくなつた。笑ひを耐《こら》へて、
『今怒つて御覧なさい。』
『知りません。』
『あははは。』多吉は遂に吹出した。そしてすつかり敵を侮つて了つたやうな心持になつた。
『矢沢さん。先刻僕が何を言ひかけて罷めたか知つてますか?』
『仰しやらなかつたから解らないぢやありませんか?』
『僕が貴方を――――ようとしたら、何うしますつて、言ふ積りだつたんです。あははは。』
『可いわ、そんな事言つて。………真個《ほんと》は私も多分さうだらうと思つたの。だから可笑しかつたわ。』
其の笑ひ声を聞くと多吉は何か的《あて》が脱《はづ》れたやうに思つた。そして女を見た。
周匝《あたり》はもう薄暗かつた。
『まあ、何うしませう、先生? こんなに暗くなつちやつた。』と、暫らくあつて松子は俄かに気が急《せ》き出したやうに言つた。
多吉には、然し、そんな事は何うでもよかつた。――――ものが、急に解らないものになつたやうな心持であつた。
『可いぢやありませんか? これから真個に嚇《おど》して、貴方に本音を吐かして見せる。』
『厭私、嚇《おどか》すの
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