あるけれども、乗つた事あ無い。』
 脊の高いのが皆の後《あと》から言つた。
『さあさあ皆《みんな》帰れ帰れ。』といふ大きな声が其の時多吉の後から聞えた。皆は玄関の方を見た。其処には此処の校長が両手を展げて敷居の上に立つてゐた。
『今井先生、さあ何卒。』また声を大きくして、『今日は学校にお客様があるのだから、お前達がゐて騒がしくてはならん。』
 多吉は笑ひながら踵を返して、休みの日にS――村へ遊びに来たら、汽車を見に連れてつてやると子供等に言つた。そして中へ入つて行つた。
 校庭のひつそりした頃に、腰の曲つた小使が草箒を持つて出て来て、玄関から掃除に取りかかつた。草鞋、靴、下駄、方々から集つた教師達の履物は丁寧に並べられた。皆で十七八足あつた。其の中に二足の女下駄の、一つは葡萄茶《えびちや》、一つは橄欖色《オリイブ》の緒の色が引き立つてゐた。
       *   *   *   *
     *   *   *   *
『此処でまた待つて居ますか?』
 多吉は後に跟《つ》いて[#「跟《つ》いて」は底本では「踉《つ》いて」]来る松子を振回《ふりかへ》つて言つた。
『ええ。少し寒くなつて来
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