。』と目賀田は校長を顧る。
『私は一寸、便所に。』
 さう言つて校長は校舎の裏手に廻つて行つた。雀部は靴を脱いで上り、目賀田は危つかしい手つきをして草鞋の紐を解きかけた。下駄を穿いた二人はまだ外に立つてゐた。生徒共は遠巻に巻いて此の様を物珍らし気に眺めてゐた。
『生徒が門のところで礼をしましたね。』
 女教師が多吉に囁いた。
『ええ。今日は授業批評会ですからね。』と多吉も小声で言ふ。
『それぢや臨時でせうか。』
『臨時でなかつたら馬鹿気てゐるぢやありませんか。――批評会は臨時ですからね。』
『ええ。』
『生徒は単純ですよ。為《し》ろと言へは為《す》るし、為《す》るなと言へば為《し》ないし、………学校にゐるうちだけはね。』
 其処へ校長が時計を出して見ながら、便所から帰つて来た。
『恰度《ちやうど》十時半です。』
『さうですか。』
『恰度三時間かかりました。一里一時間で、一分も違はずに。』
 さう言つた顔は如何にもそれに満足したやうに見えた。
 多吉は何がなしに笑ひ出したくなつた。そして松子の方を向いて、
『貴方がゐないと、もつと早く来られたんですね。』
『恰度に来たから可いでせう。』靴
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