え立てた。
 多吉にも松子にも何となく旅に出たやうな感じがあつた。出逢つた男や女も、多くはただ不思議さうに見迎へ見送るばかりであつた。偶《たま》に礼をする者があつても、行違ふ時はこそこそと擦抜《すりぬ》けるやうにして行つた。
 居村《きよそん》の路を歩く時に比べて、親みの代りに好奇心があつた。
『田が少いですね。』
 多吉は四辺《あたり》を見渡しながら、そんな事を言つて見た。山も、木も、家も、出逢ふ人も、皆それぞれに特有な気分の中に落着いてゐるやうに見えた。そして其の気分と不時の訪問者の自分|等《たち》とは、何がなしに昔からの他人同志のやうに思はれた。読んだ事のない本の名を聞いた時に起す心持は、やがて此の時の多吉の心持であつた。
『粟と稗と蕎麦ばかり食つてるから、此の村の人のする糞は石のやうに堅くて真黒だ。』雀部はそんな事を言つて多吉と松子を笑はせた。さういふ批評と観察の間にも、此の中老の人の言葉には、自分の生れ、且つ住んでゐる村を誇るやうな響きがあつた。
『此の村の女達の半分は、今でもまだ汽車を見た事がないさうです。』といふ風に校長も言つて聞かせた。
 それ等の言葉は必ずしも多吉の今
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