ね?』と目賀田は穏《おとな》しく聞いた。
『田宮の吝嗇家《しみつたれ》だもの、一銭だつて余計に金のかかる事をするもんですか。屹度昨日あたり、裏の山から生徒に栗を拾はして置いたんでせうさ。まあ御覧なさい、屹度当るから。』
『成程、雀部さんの言ふ通りかも知れませんね。』
 二三度首を傾げて見てから、校長も同意した。
 坂を下り尽すとまた渓川《たにがは》があつた。川の縁には若樹の漆《うるし》が五六本立つてゐて、目も覚める程に熟しきつた色の葉の影が、黄金の牛でも沈んでゐるやうに水底《みづそこ》に映つてゐた。川上の落葉を載せた清く浅い水が、飴色の川床の上を幽かな歌を歌つて流れて行つた。S――村は其処に尽きて、橋を渡ると五人の足はもうT――村の土を踏んだ。
 路はそれから少し幅広くなつた。出《で》つ入《い》りつする山と山の間の、土質の悪い畑地の中を緩やかに逶《うね》つて東に向つてゐた。日はもう高く上《のぼ》つて、路傍の草の葉も乾いた。畑の中には一軒二軒と圧しつぶされたやうな低い古い茅葺の農家が、其処此処に散らばつてゐた。狼のやうな顔をした雑種らしい犬が、それ等の家から出て来て、遠くから臆病らしく吠
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