吉の言葉を雀部は奪ふやうにして、
『何も困る事はない。………それぢや私の取越苦労でしたなあ。ははは。これこそ墓穴の近くなつた証拠だ。』
『いや、今も雀部さんのお話だつたが、食ひたければ食ひ、言ひたければ言ふといふ事は、これで却々《なかなか》出来ない事でしてねえ。』
校長は此処から話を新らしくしようとした。
『また麦煎餅の一件ですか?』
斯う言つて多吉は無邪気な笑ひを洩《もら》した。それにつれて皆笑つた。危く破れんとした平和は何うやら以前《もと》に還つた。
老人《としより》も若い者も、次の話題の出るのを心に待ちながら歩いた。
すると、目賀田は後を振向いた。
『今井さん。今日は俺《わし》も煎餅組にして貰ひませうか。飲むと帰途《かへり》が帰途《かへり》だから歩けなくなるかも知れない。』
「勝利は此方にあつた。」と多吉は思つた。そして口に出して、『今日は帽子が無いから可いぢやありませんか?』
『今日は然し麦煎餅ぢやありませんよ。』
雀部は言葉を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ。
『何でせう?』
『栗ですよ。栗に違ひない。』
『それはまた何故
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