』
『俺《わし》もかな?――』
後の言葉は待つても出なかつた。
雀部は元気な笑ひ方をした。が、其の笑ひを中途で罷めて、遺失物《おとしもの》でもしたやうに体を屈《こご》めた。見ると衣嚢《かくし》から反古紙《ほごがみ》を出して、朝日に融けかけた路傍の草の葉の霜に濡れた靴の先を拭いてゐた。
拭きながら、『ははは。』と笑ひの続きを笑つた。『目賀田さんは飲酒家《さけのみ》でない積りと見える。』
多吉は吹出したくなつた。月給十三日分で買つた靴だと何日か雀部の誇つた顔を思出したのである。雀部の月給は十四円であつた。多吉は心の中で、「靴を大事にする人が一人………」と数へた。
『蝙蝠傘も目賀田さんと矢沢さんの二人でせう。皆二と三の関係です。』校長はまた言つた。
『それからまだ有りますよ。』多吉は穏《おとな》しく言つた。
『老人《としより》が三人で若い者が二人。』
『私も三人のうちですか?』
『可けませんか?』
多吉は揶揄《からか》ふやうな眼付をした。三十五六の、齢の割に頬の削《こ》けて血色の悪い顔、口の周匝《まはり》を囲むやうに下向きになつた薄い髭、濁つた力の無い眼光《まなざし》――「戯談《じ
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