来たと言つてるやうに多吉には見えた。老人はこそこそと遁《に》げるやうに火鉢の傍から離れて、隅の方へ行つた。
 校長は蔵《しま》つた懐中時計をまた出して見て、『恰度七時半です。――恰度可いでせう。授業は十一時からですから。』
『目賀田さんは御苦労ですなあ。』両手を衣嚢《かくし》に入れてがつしりした肩を怒らせながら、雀部は同情のある口を利いた。
『年は老《と》るまいものさな。………何有《なあに》………然し五里や十里は………まだまだ………』
 断々《きれぎれ》に言ひながら、体を揺《ゆす》り上げるやうにして裾を端折つてゐる。
 そして今度は羽織に袖を通しかけて、
『時にな、校長さん。』と言ひ出して。『俺《わし》の処の六角時計ですな、あれが何うも時々針が止つて為様《しやう》がないのですが、役場に持つて来たら直して貰へるでせうな?』
 話の続きは玄関で取交された。
 臨時の休みに校庭はひつそりとして広く見えた。隅の方に四五人集つて何かしてゐた近処の子供等は、驚いたやうに頭を下げて、五人の教師の後姿を見送つた。教師達の出て行つた後からは、毛色の悪い一群《ひとむれ》の※[#「奚+隹」、第3水準1−93
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