に机を移した。吉野と兄の室の掃除は、下女の手傳もなく主に靜子がする。兎角、若い女は若い男の用を足すのが嬉しいもので。
それ許りではない、靜子にはも一つ吉野に對して好感情を持つべき理由があつた。初めて逢つた時それは氣が附いたので。吉野は顏容《かほかたち》些《ちつ》とも似ては居ないが、その笑ふ時の目尻の皺が、怎うやら、死んだ浩一――靜子の許嫁――を思ひ出させた。
生憎と、吉野の來た翌日から、雨が續いた。それで、客も來ず、出懸ける譯にもいかず、二日目三日目となつては吉野も大分退屈をしたが、お蔭で小川の家庭の樣子などが解つた。昌作も鮎釣にも出られず、日に幾度となく吉野の室を見舞つて色々な話を聞いたが、畫の事と限らず、詩の話、歌の話、昌作の平生飢ゑてる樣な話が多いので、もう早速吉野に敬服して了つた。
降りこめた雨が三十一日(七月)の朝になつて漸く霽《あが》つた。と、吉野は、買物旁々、舊友に逢つて來ると言つて、其日の午後、一人盛岡に行くことになつた。
二
雨後の葉月空が心地よく晴れ渡つて、目を埋むる好摩《かうま》が原の青草は、緑の火の燃ゆるかと許り生々とした。
小川の家で
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