葉が風もなく、四邊《あたり》を香《にほ》はした。
八
仄暗《ほのくら》い杜を出ると、北上川の水音が俄かに近くなつた。
『貴女《あなた》は小説はお嫌ひですか?』と、信吾は少し唐突に問うた。其の時はもう肩も摩れ/\に並んでゐた。
『一概には申されませんけれど、嫌ひぢや御座いません。』と落着いた答へをして閃《ちら》と男の横顏を仰いだが、智惠子の心には妙に落着がなかつた。前方の人達からは何時しか七八間も遲れた。後ろからは清子と靜子が來る。其跫音も何うやら少し遠ざかつた。そして自分が信吾と並んで話し乍ら歩く……何となき不安が胸に萠《きざ》してゐた。
立留つて後の二人を待たうかと、一歩毎に思ふのだが、何故かそれも出來なかつた。
『あれはお讀みですか、風葉の「戀ざめ」は?』と信吾はまた問うた。
『あの發賣禁止になつたとか言ふ……?』
『然《さ》うです。あれを禁止したのは無理ですよ。尤もあれだけじや無い、眞面目な作で同じ運命に逢つたのが隨分ありますからねえ。折角拵へた御馳走を片端から犬に喰はれる樣なもんで……ハハヽヽ。「戀ざめ」なんか別に惡い所が無いぢやないですか?』
『私はまだ讀
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