『美人だね。』と信吾も笑つた。
『顏許りぢやないわ。』と靜子は眞面目な眼をして、『それや好い方よ心も。私姉樣の樣に思つてるわ。』と言つて、熱心に智惠子の性格の美しく清い事、其一例として、濱野(智惠子の宿)の家族の生活が殆んど彼女の補助によつて續けられてゐる事などを話した。
 信吾は其話を、腹では眞面目に、表面はニヤ/\笑ひ乍ら聽いてゐた。
 二人が鶴飼橋へ差掛つた時、朱盆の樣な夏の日が岩手山の巓《みね》に落ちて、夕映の空が底もなく黄橙色《だい/\いろ》に霞んだ。と、丈高い、頭髮をモヂャ/\さした、眼鏡をかけた一人の青年が、反對の方から橋の上に現れた。靜子は、
『アラ昌作叔父さんだわ。』と兄に※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]く。
『オーイ。』と青年は遠くから呼んだ。
『迎ひに來た。家ぢや待つてるぞ。』
 言ふ間もなく踵を返して、今來た路を自暴《やけ》[#ルビの「やけ」は底本では「や」]に大胯で歸つて行く。信吾は其後姿を見送り乍ら、愍れむ樣な輕蔑した樣な笑ひを浮べた。靜子は心持眉を顰めて、『阿母さんも酷《ひど》いわね。迎ひなら昌作さんでなくたつて可いのに!』と獨語《ひとりごと》
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