準2−12−11]りの物が整然と列べられた。
脱いだ袴を疊んで、桃色メリンスの袴下を、同じ地の、大きく菊模樣を染めた腹合せの平生帶《ふだんおび》に換《か》へると、智惠子は窓の前の机に坐つて、襟を正して新約全書《バイブル》を開いた。――これは基督信者《クリスチャン》なる智惠子の自ら定めた日課の一つ、五時間の授業に相應に疲れた心の兎もすれば弛むのを、恁うして勵まさうとするのだ。
展《ひら》かれたのは、モウ手癖のついてゐる例の馬太《マタイ》傳第二十七章である。智惠子は心を沈めて小聲に讀み出した。縛られた耶蘇《イエス》がピラトの前に引出されて罪に定められ、棘《いばら》の冕《かんむり》を冠せられ、其面に唾せられ、雨の樣な嘲笑を浴《あ》びて、遂にゴルゴダの刑場に、二人の盜人と相並んで死に就くまでの悲壯を盡した詩――『耶蘇《イエス》また大聲に呼はりて息絶えたり。』と第五十節迄讀んで來ると、智惠子は兩手を強く胸に組合せて、稍暫し默祷に耽つた。何時でも此章を讀むと、言ふに言はれぬ、深い/\心持になるのだ。
軈て智惠子は、昨日來た友達の手紙に返事を書かうと思つて、墨を磨《す》り乍ら考へてゐると、不圖
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