靜子は種々の思ひを胸に疊んだ。
「若し此人(吉野)が自分の夫になる人であつたら! 否、若し此人が現在自分の夫であつたら!」
月明かに靜かな四邊の景色と、遠い太鼓の響とは、靜子の此心持に適合《ふさは》しかつた。靜子は妹共の罪なき言葉に吉野と聲を合して笑ひ乍ら、何がなき心強さと嬉しさを禁ずることが出來なかつた。よし何事が次いで起らなかつたにしても、靜子は此夜の心持を忘れる事は出來ぬであらう。
松原からの縁談は、その初め、當の對手の政治に對する嫌惡の情と、自分が其人の嫂であつたことに就ての、道徳的な考へやら或る侮辱の感やらで、靜子は兄に手頼つて破談にしようとした。が、一度吉野を知つてからの靜子は、今迄の理由の外に、も一つ、何と自分にも解らぬが、兎にも角にも心の底に強い頼みが出來た。
丁度橋の上に來た時である。
『此處で御座いましたわねえ、初めてお目に懸つたのは!』
恁《か》う靜子は慣々しく言つてみた。月は其夢みる樣な顏を照した。
『然うでしたねえ!』と吉野は答へた。そして、何か思出した樣に少し俯向《うつむ》いて默つた。
その態度は、屹度あの時の事を詳しく思ひ出してるのだと靜子に思は
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