はお酒を過して頭痛がすると言つて、お先に……』
『然《さ》うですか。僕は悉皆《すつかり》醒めちやつた。もう何時頃でせう?』
『十時、で御座いませう。』
 吉野はどかりと机の前に坐つた。と靜子は、今し方自分が其處に坐つた事が心に浮んで、『お寢み遊ばせ。』と言ふより早く障子を閉めて縁側に出た。吉野はグタリと首を垂れて眼を瞑つた。着衣はシットリと夜氣に萎《な》えてゐる。裾やら袖やら、川で濡らした此着衣を、智惠子とお利代が強《た》つて勸めて乾かして呉れたのだ。その間、吉野は誰の衣服を着てゐたか!
「智惠子! 智惠子!」と吉野の心は叫んだ。密《そつ》と左の二の腕に手を遣つて見た。其處に顏を押附けて何と言つた※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
『貴方は……貴方は……!』

   其十

      一

 吉野が新坊の命を救けた話は、翌朝朝飯の際に吉野自身の口から、簡單に話された。
 同じ話がまた、前夜其場に行合せた農夫が、午頃《ひるごろ》何かの用で小川家の臺所に來た時、稍詳しく家中の耳に傳へられた。老人達は心から吉野の義氣に感じた樣に、それに就いて語つた。信吾と靜子は、顏にも言葉にも現されぬ或る
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