子は烈しく言つて、男の首を強く絞める。
『あゝ――』と吉野は唸る樣に言つた。
『お、お解りになりますまい、私のこ、心が……』
『日向さん!』と、男の聲も烈しく顫へた。『其言葉を僕は、聞きたくなかつた!』
 矢庭に二つの唇が交された。熟した麥の香の漂ふ夜路に、熱かい接吻の音が幽かに三度四度鳴つた。

      七

 其夜、母に呼ばれて母屋《おもや》へ行つた靜子が、用を濟まして再び庭に出て來た時は、もう吉野の姿が見えなかつた。植込の蔭、築山の上、池の畔、それとなく尋ね廻つて見たが、矢張り見えなかつた。
 客は九時過ぎになつて歸つた。父の信之は醉倒れて了つた。お柳は早くから座を脱して寢てゐたが、
『靜や、吉野|樣《さん》はもうお寢みになつたのかえ。』
『否《いゝえ》、醉つたから散歩して來るつて出てらしつてよ。』
『何時頃?』
『二時間も前だわ。何處へ被行《いらしつ》たでせう!』
『昌作さんとかえ?』
『否、お一人。松藏でもお迎ひにやつて見ませうか?』
『然《さ》うだねえ。』
『大丈夫だよ。』と言ひ乍ら、赤い顏をした信吾が入つて來た。
『彼奴の事だ、橋の方へでも行つてブラ/\してるだらう。
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