』と、何時だつたか信吾の言つた言葉も思ひ出された。智惠子の若い悲哀は深くなつた。遂に讃美歌を歌ひ出した。
『……やーみ路をー、てーらせりー、かーみはーあーいーなりー。』
「愛」といふ語が何がなく懷しかつた。そして又繰り返した。『……あーいーなり……。』
下駄の音が橋に傳はつた。智惠子は鋭敏にそれを感じて、つと振返つた。が、待構へてでも居た樣に、不思議に動悸もしない。其人とは蟲が知らしたのだが……。
三
『日向樣ぢやありませんか?』恁う言つて、吉野は近づいて來た。
『まア、貴方で御座いましたか! 昨日は失禮致しました。』
『僕こそ。』と言ひながら、男は少し離れて鋼線の欄干に靠れた。『意外な所で又お目にかゝりましたね。貴女《あなた》お一人ですか?』
『否《いゝえ》、子供達に強請《せが》まれて螢狩に。貴方も御散歩?』
『え。少し酒を飮まされたもんですから、密乎《こつそり》逃げ出して來たんです。實に好い晩ですねえ!』
『えゝ。』
不圖話が斷れた。橋の下の川原には女兒等が夢中になつて螢を追つてゐる。
智惠子は胸を欄干に推當てた故か、幽かに心臟の鼓動が耳に響く。其間にも崖の木
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