。』と、酒臭い息を涼しい空に吹く。月の無い頃で、其處此處に星がちらついた。
『靜や、靜や。』と母屋の方からお柳の聲がした。
 吉野はブラリ/\と庭を拔けて、圃路《はたけみち》に出た。追駈ける樣な家の中の騷ぎの間々に、靜かな麥畑の彼方から水の音がする。暗を縫うて見え隱れに螢が流れる。
 夜涼《よびえ》が頬を舐めて、吉野は何がなしに一人居る嬉しさを感じた。恁《か》うした田舍の夜路を、何の思ふことあるでもなく、微醉《ほろゑひ》の足の亂れるでもなく、しつとりとした空氣を胸深く吸つて、ブラリ/\と辿る心地は、渠が長く/\忘れてゐた事であつた。北上川の水音は漸々近くなつた。足は何時しか、町へ行く路を進んでゐた。
 轟然たる物の響の中、頭を壓する幾層の大厦に挾まれた東京の大路を、苛々《いら/\》した心地で人なだれに交つて歩いた事、兩國近い河岸の割烹店《レストーラン》の窓から、目の下を飛ぶ電車、人車、駈足をしてる樣な急しい人々、さては、濁つた大川を上り下りの川蒸汽、川の向岸に立列んだ、強い色彩の種々の建物などを眺めて、取り留めもない、切迫塞《せつぱつま》つた苦痛に襲れてゐた事などが、怎《ど》うやらずつ
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