聲は遙《ずつ》と後ろに聞えた。智惠子は何時しか雜木の木立を歩み盡きて、幾百本の杉の暗く茂つた、急な坂の上に立つてゐた。
きつと其下の方を見て居たが、何を思つてか、智惠子は忙しく其急な坂を下り始めた。
四
ダラ/\と急な杉木立の、年中日の目を見ぬ仄暗い坂を下り盡すと、其處は町裏の野菜畑が三角形に山の窪みへ入込んで、其奧に小さな柾葺《まさぶき》の屋根が見える。大窪の泉と云つて、杉の根から湧く清水を大きい据桶に湛へて、雨水を防ぐ爲に屋根を葺いた。町の半數の家々ではこの水で飯を炊《かし》ぐ。
蓊欝《こんもり》と木が蔽《かぶ》さつてるのと、桶の口を溢れる水銀の雫の樣な水が、其處らの青苔や圓い石を濡らしてるのとで、如何な日盛りでも冷い風が立つて居る。智惠子は不圖渇を覺えた。まだ午飯《ひるめし》に餘程間があると見えて、誰一人水汲が來てゐない。
重い柄杓に水を溢れさせて、口移しに飮まうとすると、サラリと髮が落つる。髮を被いた顏が水に映つた。先刻から斷間《しきり》なしに熱《ほて》つてるのに、四邊の青葉の故か、顏が例《いつも》より青く見える。
智惠子は二口許り飮んだ。齒がキリ/\
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