いて、『それは奇遇だつたな。實に不思議だ。』
『別段奇遇でも無からうがね。唯逢つただけよ。』と、吉野は顏にかゝる煙草の煙に大仰《おほぎやう》に眉を寄せる。
『昌作さんは何ですか、日向さんと逢つて來たの?』と信吾が横になつた儘で問うた。
『否《いや》。歸つて來た所を遠くから見ただけだ。』
『よつぽど遠くからね? ハヽヽ。』
昌作はムッとした顏をして、返事はせずに、吉野の顏色を覗つた。
然うしてる所へ、母屋の方には賑かな女の話聲。下女が前掛で手を拭きながらバタ/\驅けて來て、[#「來て、」は底本では「來て」]
『若旦那樣、お孃樣、板垣樣の叔母樣が盛岡からお出《で》アンした。』
『アラ今日|被來《いらしつ》たの。明日かと思つたら。』と、靜子は吉野に會釋して怡々《いそ/\》下女の後から出て行く。
『父の妹が泊懸《とまりがけ》に來たんだ。一寸行つて會つてくるよ。』
と信吾も立つた。昌作は何時の間にか居ない。
吉野は眉間の皺を殊更深くして、ぢつと植込の邊に瞳を据ゑてゐた。
其八
一
智惠子は渡邊の家に一泊して、渡邊の妹の久子といふのと翌一日大澤の温泉に着いたのであつ
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