、富江は一人高笑ひをした。そして『書《ほん》はね、後で誰かに屆けさせますよ。』
一時間程經つて、昌作は、來た時の樣にブラリと、帽子も冠らず、單衣の兩袖を肩に捲くり上げて、長い體を妙に氣取つて、學校の門を出た。
そして川崎道の曲角まで來た時、二三町彼方から、深張りの橄欖色《おりいぶいろ》の傘をさした、海老茶の袴を穿いた女が一人、歩いて來るのに目をつけた。『ハハア、歸つて來たナ。』と呟いて、足を淀めたが、ついと横路へ入る。
三日前に畫家の吉野と同じ汽車に乘合せて、大澤温泉に開かれた同級會へ行つた智惠子は、今しも唯一人、町の入口まで歸つて來た。
三
小川家の離室《はなれ》には、畫家の吉野と信吾とが相對してゐる。吉野は三十分許り前に盛岡から歸つて來た所で、上衣を脱ぎ、白綾の夏|襯衣《ちよつき》の、その鈕まで脱《はづ》して、胡座《あぐら》をかいた。
その土産らしい西洋菓子の凾を開き茶を注《つ》いで、靜子も其處に坐つた。母屋の方では、キヤッ/\と妹共の騷ぐのが聞える。
『だからね。』と吉野は其友渡邊の噂を續けた。
『僕は中學の畫の教師なんかやるのが抑も愚だと言つて遣《や》
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