り暑いといふので、到頭四時頃になつて、それでも留めるのを漸くに暇乞して出た。田舍の素封家などにはよくある事で、何も珍しい事のない單調な家庭では、腹立しくなるまで無理に客を引き留める、客を待遇《もてな》さうとするよりは、寧ろそれによつて自分らの無聊を慰めようとする。
 平生の例で靜子が送つて出た。糊も萎《な》えた大形の浴衣にメリンスの幅狹い平常帶、素足に庭下駄を突掛けた無雜作な扮裝で、己が女傘《かさ》は疊んで、智惠子と肩も摩れ摩れに睦しげに列んだ。智惠子の方も平常着ではあるが、袴を穿いてゐる。何時しか二人はモウ鶴飼橋の上に立つた。
 此處は村での景色を一處に聚《あつ》めた。北から流れて來る北上川が、觀音下の崖に突當つて西に折れて、透徹る水が淺瀬に跳つて此吊橋の下を流れる。五六町行つて、川はまた南に曲つた。この橋に立てば、川上に姫神山、川下は岩手山、月は東の山にのぼり、日は西の峰に落つる。折柄の傾いた赤い日に宙に浮んだ此橋の影を、虹の影の如く川上の瀬に横たへて。
 南岸は崖になつてゐるが、北の岸は低く河原になつて、楊柳《やなぎ》が密生してゐる。水近い礫の間には可憐な撫子《なでしこ》が處々に咲いた。
 二人は鋼線《はりがね》を太い繩にした欄干に靠《もた》れて西日を背に受け乍ら、涼しい川風に袂を嬲らせて。
『そうら、彼《あれ》は屹度昌作さんよ。』と、靜子は今しも川上の瀬の中に立つてゐる一人の人を指さした。鮎を釣《か》けてゐるのであらう、編笠を冠つた背の高い男が、腰まで水に浸つて頻りに竿を動かしてゐる。種鮎か、それとも釣《かゝ》つたのか、ヒラリと銀色の鰭が波間に躍つた。
『だつて、昌作さんが那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]!』と智惠子も眸を据ゑた。
『あら、鮎釣には那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]|扮裝《なり》して行くわ、皆。……昌作さんは近頃毎日よ。』と言つてる時、思ひがけなくも礫々《ごろ/\》といふ音響が二人の足に響いた。
 一臺の俥が、今しも町の方から來て橋の上に差懸つたのだ。二人は期せずして其方に向いたが、
『あら!』と靜子は聲を出して驚いて忽ち顏を染めた。女心は矢よりも早く、己が服裝の不行儀なのを恥ぢたので。

      四

 近づく俥の音は遠雷の如く二人の足に響いて
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