い!」と言つた樣な失望が、漠然と胸に湧く。自省の念も起る。氣を紛らさうと思つて二人の子供を呼んだ。智惠子の拵へてくれた浴衣をだらし[#「だらし」に傍点]なく着た梅ちやんと、裸體に腹掛をあてた新坊が喜んで來た。
『何か話をして上げませう? 新坊さんは桃太郎が好き?』
『嫌《いや》。』と頭を振つて、『山さ行く。』
『先生、山さ連れてつて。』と梅ちやんも甘えかゝる。
『ホホヽヽ、何方も山へ行きたいの? 山はこの次にね……。』
と言つてる所へ、入口に人の訪るゝ氣勢《けはい》。智惠子は屹と口を結んだ。俄かに動悸が強く打つ。
五
胸を轟かして待つた其人では無くて訪ねて來たのは信吾であつた。智惠子は何がなしにバツが惡く思つた。
信吾は常に變らぬ容子乍らも、何處か落着ぬ樣で、室に入ると不圖氣がさした樣に見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して坐つたが、今まで客のあつたとも見えぬ。
『吉野君が來なかつたですか?』
『否《いゝえ》。』と對手の顏色を見る。
『來ない? 然うですか、何處へ行つたかなア。はてナ、』と、信吾は是非逢はねばならぬ用でもある樣に考へる。
『あの、お一人でお出懸けになつたんで御座いますか?』
『昌作と二人です、今朝出たつ限《きり》まだ歸らないんですが、多分|貴女《あんた》ン許《とこ》かと思つて伺つたんです。』
何故此家に居ると思つたか、此家に來ると其人が言つて出たのか、又、若し眞に用があるのなら、午前中確かに居た筈の加藤へ行つて聞けば可い。言ひ方は樣々あつたが、智惠子は膝に目を落して、唯『否。』と許り。
危《あぶ》ない藝當を行《や》つてるといふ樣な氣がして、心が咎める。
『はてナ。』と、信吾はまた大袈裟に考へ込む態《さま》を見せて、『實は何です、家に親類の者が來てゐて僕は今朝出られなかつたんですが、一寸今、用が出來たもんですから探しに來たんです。』
『何方《どちら》か外にお尋ねになつたんで御座いますか?』
『否《いゝえ》、』と信吾は少し困つて、『……眞直に此方へ。』
『此家《こゝ》へ被來《いらつしや》るとでも被仰《おつしや》つて、お出懸けになられたんで御座いますか?』
『然うぢやないんですが、唯、多分然うかと思つたんで。』
『奈何《どう》してで御座いますか?』
『ハッハハ。』と、男は突然大きく笑つた。『違ひましたね。それぢや何處へ行つ
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