はお嫌ひですか?』と、信吾は少し突然《だしぬけ》に問うた。其の時はモウ肩も摩《す》れ/\に並んでゐた。
『一概には申されませんけれど、嫌ひぢや御座いません。』
と落着いた答へをして閃《ちら》と男の横顔を仰いだが、智恵子の心には妙に落着がなかつた。前方《まへ》の人達からは何時しか七八間も遅れた。背後《うしろ》からは清子と静子が来る。其跫足も怎《どう》やら少し遠ざかつた。そして自分が信吾と並んで話し乍ら歩く……何となき不安が胸に萌《きざ》してゐた。
立留つて後の二人を待たうかと、一歩毎《ひとあしごと》に思ふのだが、何故かそれも出来なかつた。
『あれはお読みですか、風葉の「恋ざめ」は?』と信吾はまた問うた。
『アノ発売禁止になつたとか言ふ……?』
『然うです。あれを禁止したのは無理ですよ。尤もあれだけぢや無い、真面目な作で同じ運命に逢つたのが随分ありますからねえ。折角|拵《こしら》へた御馳走を片端《かたつぱし》から犬に喰はれる様なもんで……ハハヽヽ。「恋ざめ」なんか別に悪い所が無いぢやないですか?』
『私はまだ読みません。』
『然うでしたか。』と言つて、信吾は未《ま》だ何か言はうと唇を動か
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