あ被来《いらつしや》い、加留多なら何時《なんどき》でもお相手になつて上げるから。』
『此方《こつち》から教へに行くんですよ。』と笑ひ乍ら、富江は薄暗い家の中へ入つて行つた。
 と、信吾は急に取済した顔をして大跨に歩き出したが、加藤医院の手前まで来ると、フト物忘れでもした様に足を緩《ゆる》めた。

     (二)の四

 今しもその、五六軒|彼方《かなた》の加藤医院へ、晩餐《ゆふめし》の準備《したく》の豆腐でも買つて来たらしい白い前掛の下婢《げぢよ》が急足《いそぎあし》に入つて行つた。
『何有《なあに》、たかが知れた田舎女《ゐなかもの》ぢやないか!』と、信吾は足の緩んだも気が付かずに、我と我が撓《ひる》む心を嘲つた。人妻となつた清子に顔を合せるのは、流石に快くない。快くないと思ふ心の起るのを、信吾は自分で不愉快なのだ。
 寄らなければ寄らなくても済む、別に用があるのでもないのだ。が、狭い村内の交際《つきあひ》は、それでは済まない。殊には、さまでもない病気に親切にも毎日廻診に来てくれるから、是非顔出しして来いと母にも言はれた。加之《のみならず》、今日は妹の静子と二人で町に出て来たので、其
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