目の夫だとも言ふ。それが頗る妙で、富江が此村へ来てからの三年の間、お正月を除いては、農繁の休暇《やすみ》にも暑中の休暇にも、遂ぞ盛岡に帰らうとしない。それを怪んで訊ねると、
『何有《なあに》、私なんかモウお婆さんで、夫の側に喰付《くつつ》いてゐたい齢でもありません。』と笑つてゐる。対手によつては、女教師の口から言ふべきでない事まで平気で言つて、恥づるでもなく戯談《じようだん》にして了ふ。
村の人達は、富江を淡白《きさく》な、さばけた、面白い女《ひと》として心置なく待遇《あしら》つてゐる。殊にも小川の母――お柳にはお贔負《きにいり》で、よく其《その》家《いへ》にも出入する。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》事から、この町に唯一軒の小川家の親籍といふ、立花といふ家《うち》に半自炊の様にして泊つてゐるのだ。服装《みなり》を飾るでもなく書《ほん》を読むでもない。盛岡には一文も送らぬさうで、近所の内儀さんに融通してやる位の小金は何日《いつ》でも持つてゐると言ふ。
街路《みち》は八分通り蔭《かげ》つて、高声に笑ひ交してゆく二人の、肩から横
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