の。』
『小使を遣つて取寄せて呉れるサ。』と頼む様な語調《てうし》。
『肺病患者なんかに!』と独言《ひとりご》つ様に言つて、
『アノね、昌作さん。』と可笑《をか》しさを怺《こら》へた様な眼付をする。『恁《か》う言つて下さいな、山内|様《さん》に。アノね、評釈なんか無くたつて解るぢやありませんかツて。』
『え? 何ですツて?』と昌作は真面目に腑に落ちぬ顔をする。
『ホホヽヽヽ。』と富江は一人高笑ひした。そして、『書《ほん》はね、後刻《あと》で誰かに届けさせますよ。』
 一時間程経つて、昌作は、来た時の様にブラリと、帽子も冠らず、単衣の両袖を肩に捲り上げて、長い体を妙に気取つて、学校の門を出た。
 そして川崎道の曲角まで来た時、三町|彼方《かなた》から、深張の橄欖色《オリイブいろ》の女傘《かさ》をさした、海老茶の袴を穿いた女が一人、歩いて来るのに目をつけた。『ハハア、帰つて来たナ。』と呟いて、足を淀《よど》めたが、ツイと横路へ入る。
 三日前に画家の吉野と同じ※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車に乗合せて、大沢温泉に開かれた同級会へ行つた智恵子は、今しも唯一人、町の入口まで帰つ
前へ 次へ
全217ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング