何か昌作に説明して聞かしてゐた。
一通りの挨拶が済むと、富江はすぐ立つて、壁に立掛けてある書きかけの水彩画を見る。信吾はゴロリと横になつて、その画のことを吉野と語る。
『昌作さん。』と富江が呼びかけた。『貴方昨日町へ被行《いらし》つて?』
『行つた。山内へ見舞に。』
『奈何でしたの、御病気は?』と笑つてゐる。
『それや可哀想ですよ。臥《ね》たり起きたりだが、今年中に死ぬかも知れないなんて言つてるもの』
『其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]に悪いかねえ。それや可哀想だ。何しろ那《あ》の体だからなア。』と信吾は別に同情した風もなく言ふ。
『盛岡に帰るさうだ。四五日中に。』
『昌作さん。』と富江は再《また》呼んだ。そして急しく吉野と信吾の顔を見巡して、
『好《い》い物上げませうか、貴方に?』
『何です?』
『好い物なら僕も貰ひたいな。』
『信吾さんには可厭《いや》。ねえ昌作|様《さん》、上げませうか?』
『何だらうな!』と昌作は躊躇する。
『二人が喧嘩しちや可けないから僕が貰ひませうか?』と吉野は淡白《きさく》に笑ふ。
『ねえ昌作様、誰方《どなた》にも見せちや可けませんよ。』
『可《よ》し、志郎と二人で見る。』
『否《いいえ》、貴方一人で見なくちや可けないの。』と言ひながら、富江は何やら袂から出して、掌に忍せて昌作に渡す。
昌作は極悪気《きまりわるげ》にそれを受けた。そして、
『可《よ》し、可し。』と言ひながら庭下駄を穿いて、
『オイ、志郎! 好い物があるぞ。』
と声高に母屋の方へゆく。
『あら可《い》けませんよ、人に見せちや。』と富江は其|後《うしろ》から叫んで、そして、面白さうにホホヽヽと笑つた。
二人は好奇心に囚れた。
『何です、何です?』と信吾が言ふ。
『何でもありませんよ。』と、済《すま》し返つて、吉野の顔をチラと見た。
『怪しいねえ、吉野君。』
『ハツハハ。』
『豈夫《まさか》! 信吾さんたら真箇《ほんと》に人が悪い。』と何故か富江は少し慎《つつま》しくしてゐる。
其処へ、緑美しき甜瓜《まくわうり》を盛つた大きい皿を持つて、静子が入つて来た。
『余り甘味《おいし》くないんですけれど……。』
『何だ? 甜瓜か! 赤痢になるぞ。』と信吾。
『マ兄様《にいさん》は!』と言つて、『真箇でせうか神山様、赤痢が出たつてのは?』
『真箇には真箇でせうよ。隔離所は三人とか収容したつてますから。ですけれど大丈夫ですわねえ、余程離れた処ですもの。』
『ハヽヽ。神山|様《さん》が大丈夫ツてのなら安心だ。早速やらうか。』と信吾が真先に一片《ひとつ》摘《つま》む。
軈《やが》て、裾短かの筒袖を着た志郎と昌作が入つて来た。
『ヤア志郎さん、今迄昼寝ですか?』と吉野が紛※[#「巾+兌」、277−上−16]《はんけち》に手を拭き乍ら言ふ。
『否、僕は昼寝なんかしない。高畑《たかばたけ》へ行つて号令演習をやつて来て、今水を浴《かぶ》つたところです。』
『驚いた喃《なあ》。君は実に元気だ!』
昌作は何か亢奮してる態《さま》で、肩を聳かして胡坐《あぐら》をかいた。
『何だい彼物《あれ》は、昌作さん?』と信吾が訊く。
『莫迦だ喃!』と昌作は呟く様に言つて、眤と眼鏡の中から富江を見る。『然し俺は山内に同情する。』
富江は笑ひながら、『アラ可けませんよ、此処で喋つては。』
『僕も見た。』と志郎が口を入れた。『オイ昌作さん、皆《みんな》に報告しようか?』
『言へ、言へ。何だい?』と信吾は弟を唆《そその》かす。昌作は黙つて腕組をする。
『言はう。』と志郎は快活に言つて、『アレは肺病で将《まさ》に死せんとする山内謙三の艶書です。終り。』
『マア、志郎さんは酷い!』と、流石に富江も狼狽する。
『艶書?』と、皆は一度に驚いた。
『それが怎《ど》うしたの、志郎様!』と静子が訊く。
呆れてゐる信吾の顔を富江は烈しい目で凝視《みつ》めてゐた。
(十一)の一
前日富江が来て、急に夕方から加留多会を開くことになり、下男の松蔵が静子の書いた招待状を持つて町に走せたが、来たのは準訓導の森川だけ。智恵子は病気と言つて不参。到頭肺病になつて了つた山内には、無論|使者《つかひ》を遣らなかつた。
智恵子の来なかつたのは、来なければ可《い》いと願つた吉野を初め、信吾、静子、さては或る計画《もくろみ》を抱いてゐた富江の各々《おのおの》に加留多に気を逸《はず》ませなかつた。其夜は詰らなく過ぎた。
静子の生涯に忘るべからざる盆の十四日の日は、朗々《ほがらほがら》と明けた。風なく、雲なく、麗《うらら》かな静かな日で、一年中の愉楽《たのしみ》を盆の三日に尽す村人の喜悦《よろこび》は此上もなかつた。
村に禅寺が二つ、一つは町裏
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