そしたら、(結婚といふものは恋愛によつて初めて成立するもので、他から圧制的に結びつけようとするのは間違だ。)なんて、それあ真面目よ。すると祖母さんが(ああ/\然うだらうともさ。)が可笑しいぢやありませんか。圧制的なんて祖母さんに解るもんですかねえ。ホホヽヽヽ。』
『そして奈何《どう》した?』
『奈何もしやしないけど、面白かつたわ。そして折角祖父さん許《ばつか》り攻撃してるのよ。旧時代の思想だの何のツてね……お父さんやお母《つか》さんの事は言へないもんだから。』
『フム、然うか。……それで奈何する気なんだらう、今後。』
『南米に行きたいんですツて。』
『南米に? そんな事で学校も廃《よ》したんだな。』
『許りぢやないわ。今年卒業するのでしたのを落第したんですもの。』
『中学も卒業せずに南米に行つたつて奈何なるもんか。それに旅費だつて大分|費《かか》る。』
『全体《みんな》で二百円あれア可《いい》んですツて。』
『何処から出す積《つもり》だらう。家ぢや出せまいし……。』
『出せないことは無いと思ふわ。』
『だつて余り無謀な計画だ。』
『…………ですけど、お母《つか》さんも少し酷《ひど》いわね、昌作叔父さんに。私時々さう思ふ事があつてよ。』
『それや昌作さんが悪いんだ。そして今は何をしてるんだらう? 唯遊んでるのか?』
『和歌《うた》を作つてるのよ。新派の和歌《うた》。』
『和歌? 那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》格好してて和歌を作るのか? ハハハ。』
『仲々得意よ。そして少し天狗になつてるけど、真箇《ほんと》に巧いと思ふのもあるわ。』
『莫迦《ばか》な。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》事してるから駄目なんだ。少し英語でも勉強すれや可いのに。』
 この時、重い地響が背後《うしろ》に聞えた。二人は同時に振返つて見て、急がしく線路の外に出た。信吾の乗つて来た列車と川口駅で擦違《すりちが》つて来た、上りの貨物列車が、凄《すさま》じい音を立てて、二人の間を飛ぶが如くに通つた。

     (二)の一

 通行《とほり》少き青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架《か》けた船綱橋《ふなたばし》といふを渡つて六七町も行くと、若松の並木が途断えて見すぼらしい田舎町に入る。両側百戸足らずの家並《いへなみ》の、十が九までは古い茅葺勝《かやぶきがち》で、屋根の上には百合や萱草《かや》や桔梗が生えた、昔の道中記にある渋民の宿場の跡がこれで、村人はたゞ町と呼んでゐる。小さいながらも呉服屋、菓子屋、雑貨店、さては荒物屋、理髪店《とこや》、豆腐屋まであつて、素朴な農民の需要は大抵|此処《ここ》で充される。町の中央《なかほど》の、四隣《あたり》不相応に厳《いかめ》しく土塀を繞《めぐら》した酒造屋《さかや》と対合《むかひあ》つて、大きい茅葺の家《うち》に村役場の表札が出てゐる。
 役場の外に、郵便局、駐在所、登記所も近頃新しく置かれた。小学校は、町の南端れ近くにある。直径《さしわたし》尺五寸もある太い丸太の、頭を円くして二本植ゑた、それが校門で、右と左、手頃の棒の先を尖らして、無造作に鋼線《はりがね》で繋《つな》いだ木柵は、疎《まば》らで、不規則で、歪んで、破れた鎧の袖を展《の》べた様である。
 柵の中は、左程広くもない運動場になつて、二階建の校舎が其奥に、愛宕山《あたごやま》の欝蒼《こんもり》した木立を背負《しよ》つた様《やう》にして立つてゐる。
 日射《ひざし》は午後四時に近い、西向の校舎は、後《うしろ》の木立の濃い緑と映り合つて殊更に明るく、授業は既《とう》に済んだので、坦《たひら》かな運動場には人影もない、夏も初の鮮かな日光が溢れる様に流れた。先刻《さきほど》まで箒を持つて彷《うろつ》いてゐた、年老つた小使も何処かに行つて了つて、隅の方には隣家《となり》の鶏が三羽、柵を潜つて来てチヨコ/\遊び廻つてゐる。
 と、門から突当りの玄関が開《あ》いて、女教師の日向《ひなた》智恵子はパツと明るい中へ出て来た。其拍子に、玄関に隣《とな》つた職員室の窓から賑やかな笑声が洩れた。
 クツキリとした、輪廓の正しい、引緊つた顔を真面《まとも》に西日が照す。切《きれ》のよい眼を眩しさうにした。紺飛白《こんがすり》の単衣に長過ぎる程の紫の袴――それが一歩《ひとあし》毎に日に燃えて、静かな四囲《あたり》の景色も活きる様だ。齢は二十一二であらう。少し鳩胸の、肩に程よい円《まろ》みがあつて、歩方《あるきかた》がシツカリしてゐる。
 門を出て右へ曲ると、智恵子は些《ちよつ》と学校を振返つて見て、『気障《きざ》な男《ひと》だ。』と心に言つた。故もない微笑《ほほゑみ》がチラリ
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